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三井物産_総合商社業界_通過エントリーシート (21卒本選考)

三井物産、21卒_本選考の通過エントリーシートです。

自分史(2500文字)

【小学校卒業まで】 (0歳)千葉県に2人兄弟の次男として生まれる。6個上に兄がいる。 (幼稚園)クラスの劇で一番かっこよく目立ちたかったので、主役のピーターパンを演じる。また、「人たらし」のあだ名をもらう。親戚や近所の大人含め、人と遊ぶことが大好きであった。 (小学校)兄の影響で剣道を始める。個人戦では優勝し、団体戦では一回戦負けした大会の後、「キャプテンのお前だけ勝てればいいのか」という言葉を先生から受け、剣道をチームスポーツと捉える。その後チームで勝ち、全国大会出場を決めたときの喜びはとても大きかった。学校生活では、下級生のお世話係のリーダーをしていたほどのお節介であった。 【2010年4月 千葉県白井市立桜台中学校 入学】 (中1)迷うことなく剣道部に入る。小学生の時にはなかった「先輩後輩」という文化を知る。3年生が5人いる中で団体のレギュラーを奪い取り関東大会ベスト8を目標とするも、レギュラーにはなれたが関東大会には出場できず悔しい思いを先輩にさせてしまった。塾に通うようになり、学年10位以内の成績を常に取り、かつ小さい時に培った"人たらし力"で「勉強教えてくれる陽キャラ」のポジションを獲得。 (中2)部活面で自分たちの代になり、後輩も入部し練習メニューを自分で考えるようになる。初心者が多い中でどのような練習をすればいいか顧問と考える毎日。トライアンドエラーを繰り返したが目立った成績は取れずに終わった。 (中3)最後の大会で試行錯誤が実り、1回戦敗退ではあったが関東大会に出場する。受験において当初学業一本で学校選びをしていたが、部活引退してから剣道が自分にとって大きな存在であったことを実感し剣道と勉強の両立が出来そうな学校に行くことを決心。第一志望校に合格。 【2013年4月 私立日本大学習志野高等学校 入学】 (高1)剣道部に入部するも、後輩の意見は通さない部の雰囲気に合わず、半年で辞めようと考え、人生最大級の絶望期を迎える。勉強にも身が乗らず成績は右肩下がり。入学して初めての模試で450人中5位だったが、結果的に1年生終盤のテストで430位という結果だった。部活のメンバーや顧問、クラスの友達との話し合いの結果、辞めずに部の方針を受けつつ自分の価値を出していこうと心を改める。 (高2)強い後輩が入ってきてモチベーションが上がり、練習も効率よくできるようになりレギュラーを獲得したのだが、間もなく太もも肉離れを起こしレギュラー落ちを経験。最初は自棄になりサボっていたが、同期や後輩が頑張っている姿を見て奮起。怪我人なりにできることを考え、部をサポートし復帰後レギュラーになれるように練習をする。終盤に怪我から復帰する。勉強面は剣道に集中しすぎていたため、おろそかであった。また、修学旅行でイギリスに1週間ほど滞在し、日本語以外を話すことに面白みを覚え海外に興味を抱く。しかしご飯がおいしくなくイギリスへの興味はなかった。 (高3)剣道において猛練習の甲斐あって、レギュラー入りする。関東大会ベスト8を目標にしていたが、結果は県大会ベスト8。悔しい思いは確かにしたが、清々しい思いもあった。というのも原因は圧倒的な技術の差であり、それはチームで努力した結果であったから。引退してから、受験勉強を開始するも目標も定かでなく、また時間も足りず失敗。浪人を決意。 (浪人)修学旅行をきっかけに、大学に入ったらどの言語でもいいから話せるようになるために留学したいと考え、留学制度が整っている上智大学を第一志望とする。浪人仲間にも恵まれオンとオフがしっかりとれた最高な環境で勉強できた。成績は右肩上がりで伸びていき、第一志望合格。 【2017年4月 上智大学外国語学部ドイツ語学科 入学】 (大1)大学に入って初めて触れる言語に大きな難しさを感じ、最初の授業で先生が何を言っているのか全く分からなかった。そのため、今まで習慣になかった予習復習をするようになり、その大切さを痛感した。サークル面で、実践的にドイツ語を使える場として「日独がくせいむら」というドイツ人と日本人の学生の交流の場を設営する団体の運営メンバーに入った。学業に重きを置こうと決めていたので、体育会の剣道部に入ることを断念し、小学校生の時に所属していた団体で指導者として剣道を続ける。初心者を主に担当していた。教えたことを定着させることが難しく、とても悩んだ。アルバイトでは小遣い稼ぎやその時の夢の確認作業を目的として、塾、ブライダル、観光代理店、土木、飲食店など様々な経験を積む。 (大2)9月から3月の約半年間ドイツに留学をする。日本語に頼りにくい状況を強制的に作り出すために「上智大学から枠が1つしかない大学」という軸で大学選びをし、教授から"日本人がいない町"として勧めて頂いたアイヒシュテットにある大学に留学する。いざ到着してみると本当に日本人がいなく、山に囲まれた小さな田舎町であった。一人暮らし経験なし、知り合いなし、ドイツ語そこまで話せない、という状況で途方に暮れたが、まず友達を作るために何か爪痕を残すべきだと考え、留学生イベントでビールを8リットル飲んだ。というのもドイツ人は基本的にビールが好きだというイメージからたくさん飲んだら喜んでくれると思ってそのような行動に出た。その結果「お酒を大量に飲む日本人」ということで覚えてもらい、友達を作ることに成功した。また日本があまり知られていなかったことからイベントを開催し、日本についてよく知ってもらおうと尽力した。 (大3)飲食のオープンスタッフとして新たな職に就く。高級和食店ということもあり、良い接客をした際にお小遣いを頂くことがあり、そこで月に5万円のお小遣いを目標にし、お客様の言語内外でのニーズを察知し、より良い接客が出来るように精進している。