エントリーシート概要
年度:2020卒 選考:本選考 職種:エンジニア
大学入学以前で印象に残っているエピソードがあれば記入してください。(1000文字以内)
高校 3 年時に行った卒業研究です。私の高校では 3 年時に 1 年間をかけて卒業研究があ りました。私は「無回転ボールが不規則に変化する要因の考察」というテーマで研究を行い ました。このようなテーマを選んだ理由としては、1 つ目に高校 3 年での卒業研究というこ ともありほとんどの学生が調査で終わってしまう内容が例年多い中、私としてはせっかく 1 年間かけてやるのだから調査で留まるのではなく実際に検証を行うところまで行うことで、 大学でも活かせるような形で研究したかったから。2 つ目に、できるかできないかではなく 自分自身が本当に興味があることをやってみたかったからです。好きなことや興味を持ったことについてはとことん熱中しのめりこむ私の性格が高校時代の研究活動にも反映され たと思います。
具体的に印象に残っていることとしては、高校では学習しない「流体力学」の分野を独学したこと・実験設備を簡易的に自作したことです。ボールの軌道は大学で学ぶ流体力学という専門分野の知識が不可欠であったので、まず私はその分野の基礎的な知識を勉強しました。加えて既に大学生であった兄やエンジニアである父にも知識や実験方法の意見を仰ぐことで効率よく専門知識を身に着けられるようにしました。そして実際にボールの軌道が変化する要因を考察するために「風洞装置」といって、ボールを固定しそこに煙によって目で見えるようにした空気を吹き込むことでボール周りの空気の流れを観察できる装置を自作しました。本来であれば専門的な装置が必要ですが、段ボール・扇風機・ストローなど身近にあるものを使い装置を作りました。実際に装置の製作や実験を行ったときは、空気の流れが一定でなかったり可視化のための煙の量が適切でなかったりなどの苦労がありました。 そこで私は空気を一定に流す為のストローの長さや形を変えたり、煙も「線香の煙」や「ドライアイスの煙」を使ったりなど様々な試行錯誤を行って問題を解決し、研究を進めること ができました。 このように卒業研究の中で授業内容以上のレベルのものを自分自身で選択しやりきった経験から、これまでの知見を収集する大切さとそこから「既存の知識や経験を活かして新しいことを生み出すこと」の面白さを学びました。加えて研究過程では自分一人だけでなく指導教員や父や兄などに積極的に意見を仰ぐことで、他人の意見を取り入れながら物事を進 める重要さを感じました。
大学入学後で印象に残っているエピソードがあれば記入してください。(1000文字以内)
学部 4 年時から行っている研究活動において「自分の専門外の分野を一から学び研究 に応用したこと」と「困難な課題であってもチームとしても個人としても諦めず最後ま でやり抜いたこと」です。 私は「災害現場や危険地域への派遣を目的とした無人・超小型飛行機の効率的な運航のための翼の空気力学特性」について研究しています。その中でこれまで私が行ってきた「既存の知識や経験を活かして新しいことを生み出すこと」を通して、今までにない新しいデータの評価手法の提案を行いました。超小型飛行機の効率的な運航には翼まわりの流れが重要にも関わらず、従来では流れの可視化による定性的な見た目での評価による部分がありました。そこで定量化のために私は流れ場を輝度の識別によって数値化する指標を作ることを考えました。しかしそのような研究例は今まで少なく、私は当時の研究分野だけなく視点を変え画像解析など他の分野の専門知識を一から学びました。実際に数値化する際には抽出するべきパラメーターに悩みましたが、先輩や指導教員に自分のアイデアに対しての意見を仰ぎ、議論を繰り返すことで撮影した流れ場の画像の時間変化による輝度を詳細に数値化するという手法を確立しました。この経験から私は 今までなかったものを 0 から作り上げる喜びを感じることができました。 また新しいものを考えるときは当然ながら参考文献や先行研究は少なくとても苦労しました。しかしその中で同じ研究班のメンバーや画像解析の知識を持つ友人からアドバイスをもらいながら、少しずつではありましたが形にしていくことができました。今までにないことをやるという中で、様々なことを手探りしていく過程を経験することができこれから社会人として仕事をする上でも役立てることができると感じています。
その他、印象に残っているエピソードがあれば記入してください。(1000文字以内)
中学校時代にサッカー部で 2 年時に東海大会・3 年時に全国大会に出場したことです。私 は中学 2 年時に父親の仕事の都合で愛知県に引っ越しました。その際に住む場所で中学校 を選ぶことができたので、過去にサッカー部が全国大会で準優勝の経験もある中学に通う ことができる場所を選びました。 私は中学 2 年からチームに加入して他の部員は小学校時代から一緒にやっており、当然 私のことは知りませんでしたがサッカーを通して初対面でもコミュニケーションを密に取ることができ、自分のプレーを知ってもらうことでチームに馴染むのにそこまで時間はかかりませんでした。この経験と幼少期はドイツに住んでいた経験などから新しい環境での 適応性は私の強みだと思っています。 加入した当時初めて 3 年生方の試合を見たときに感銘を受けたことを今でも覚えていま す。個人・チームでの技術・戦術が洗練されており地域では他を圧倒していました。そんな中で私も準レギュラーとして試合に出させてもらい、レベルの高い先輩方のプレーを間近で見てたくさんのことを吸収することで自分のプレーに反映させることができました。その年の大会は愛知県では圧倒的な強さで勝ち上がりましたが、東海大会で敗退し全国大会に出場することができませんでした。その姿を見た私達は絶対に自分たちの代では全国大 会に出場することを目標に努力しました。
しかし、私たちの代では「市内新人大会 2 回戦敗退」や最後の大会でも「市内大会 3 位」 「県大会 2 位」など、なかなか結果は出ませんでした。その中でも何とか次のステップの大 会に繋げることができ最終的には「東海大会 3 位」という結果で全国大会に出場すること ができました。その要因として私たちのチームは決して強くはなかったので、「個人個人の能力が高くないからこそ個人がチームに何が必要なのかを考え全員が一つになれたこと」が挙げられます。私自身は当時身長も低く身体能力もチームで一番ありませんでした。その中で自分がチームに必要な存在になる為に「頭を使いチームに一番+になるプレーをすること」を心掛けました。このような思いをチーム全員が持つことができたからこそ、全国大 会に出場することができたのだと思います。 この経験から私はチームで決めた目標に向かって努力することやそれを達成した時の喜び、またチームに+になる為に自分が何をするべきなのかを常に考えることの大切さを学 びました。
今までの人生の中で一番頑張ったこと/熱中したことを教えてください。(1000文字以内)
小学校時代から続けているサッカーです。中学校時代は公立の中学ながら全国大会に出場するなど、高校時代までの私の人生の大半を占めていたと言っても過言ではありません。 サッカーに熱中した理由としては、 「頭を使ったスポーツが好きだったこと」と「チームとして試合に勝った時の喜び」があります。
私は何事でも理論的に考えることが好きです。サッカーはボールは一つですがプレーヤーは22人とスポーツの中では人数が多く、またフィールドも広くプレーが止まることは少 ないので刻一刻と状況が変わることからとても頭を使うスポーツだと感じています。その中で周りをよく見て状況判断の質をより上げていくことがとても大切で、決して生まれ持っての身体能力や足元の技術だけではプレーヤーの価値が決まらないところが私がサッカーに長い期間熱中していた理由だと思います。また日々の努力から試合に勝利した喜びをチームメイトと分かち合うことは、一人で達成したものとは違うものを感じられます。サッカーにおいて勝敗を左右する得点を決められる選手は 11 人の中でも限られた選手です。得 点に至るまでの過程ではチームでの自分の役割を全うするのは当然ですが、その中でチームメイトと連携して自分の能力以上のプレーができた時などは言葉に表すことができない嬉しさや驚きがあります。
このようにサッカーでは個人のプレーによる喜びもありますが、チームとして上手くいった時の喜びがかけがえのないものであることから私はサッカーが 好きです。 サッカーは時には個人の力・時にはチームとしての力が求められ、長年やっていく中で私はチームの中での自分の役割を見つけていく過程を学びました。その中でも特に他人とは違う武器を磨くことを意識しました。私は中学時代体も小さく足も速くありませんでした。 そこで私は頭を使ったプレーや足元の技術といった、自分の得意なことを伸ばしチームに 必要な選手になることを考えて日々努力していました。 これらは現在の研究活動においても活かされていると感じています。私の研究は後輩 1 と・先輩 1 人と私の 3 人のチームで行っています。その中で当然ながら実験が得意・解析 が得意・資料を作るのが得意などのそれぞれの個性があります。お互いの得意なことやできることを理解しコミュニケーションを密に取ることでより効率よく研究できるように日々 意識しています。
今まで、人生で一番失敗した/後悔したことを教えてください。(1000文字以内)
重工メーカーのインターン先で行われた自分の研究紹介の発表において、自分の「吃音」 ということを意識するあまり内容をしっかり伝えられなかったことです。吃らないように うまく発表しようという気持ちばかりで、自分が伝えたかったことを全て伝えきれず後悔 しました。そこではうまく伝えることはできませんでしたが、社員の方々からはたくさんの 質問を頂き、そこで初めて「喋り方なんかよりもしっかりと内容を見てくれているんだ」と 改めて本質が何かということを学びました。 このことから技術者として、上手く喋ることよりも何が一番伝えたく内容がどんなもの であるかということを意識して資料作りや発表を心掛けています。具体的には資料は「1 スライド 1 メッセージ」「図や表の色使い、強調したいことはどこか」など、発表は「端的に 伝えたいことを繰り返し強調すること」などを意識して、話し方が下手であっても相手にど こを伝えようとしてるのか理解できるような工夫を考え実践しています。
将来どうなりたいか/どうありたいか、現在の考えを教えてください。(1000文字以内)
私は小さいころから「社会に役立ち信頼されるエンジニア」になりたいという目標があります。
幼い頃から自動車部品メーカーで働く父の姿を見てきた中で、私も父のような周りの人に信頼されるエンジニアになりたいと思うようになり、その為の勉強や研究を今までしてきました。また私自身は「一度やると決めたことは最後までやりきること」と「人の痛みを思いやれる人間でいること」を大事にしています。私の父はとても仕事熱心で一度やり始めた仕事や引き受けたものはどんな困難なことがあっても、様々な工夫を試し決して諦めることなくやりきる人間です。また普段から他人への思いやりを忘れることのない人で私 はそのような父の背中を見て育ってきました。 人に信頼される為には「この人に任せれば途中で投げ出さず最後まで何とかしてやってくれるだろう」と思われることや「嘘をつかず素直なこと」が大切だと思っています。
私は 学部 4 年の卒業研究において、研究室・教授の意向で 11 月に研究内容が変わるということ がありました。それまで取っていた研究データなどがほとんど使えないような内容であり、決定した当時はとても戸惑いましたが、私は「決まってしまったことはしょうがないし、自分のできることを精一杯やり抜こう」と思いました。その結果今までにない新しいものを作 り上げることができ、諦めずやってきたことが報われた瞬間でした。
また私は高校時代から「吃音症」といって言葉を流暢に発しづらかったり言葉が詰まってしまったりするような症状があります。このような自分のバックグラウンドから私は「生き辛さやマイノリティを抱えている人の役に立ちたい」という思いが強くあります。この思い を実現する方法としてテクノロジー、特に IT の分野で生き辛さを抱える人が少しでも生き やすくなるようなサービスやシステムを作りたいと考えています。この思いを実現する方法としてテクノロジー、特に ITの分野で生き辛さを抱える人が少しでも生きやすくなるよ うなサービスやシステムを作りたいと考えています。
まとめますと、私は将来「一人一人が少しでも生きやすくなるような仕事をする人」「一度やると決めたことは様々な工夫をして最後までやりきる人」になりたいと思っています。 またその結果「社会に役立ち信頼されるエンジニア」になりたいです。
今後、ネットプロテクションズについてどんな情報が知りたいですか。(文字数制限無し)
現在貴社の主力事業である決算システム以外に、現在力を入れている/入れていこうとしている事業はありますか? 社員の方々、また貴社としてはどのようなメンタリティで仕事/もしくは社会課題と向き 合っていますか? これからの貴社の成長のためのプラン/構想があればお聞きしたいです。 採用された場合の仕事内容や担当できる製品/事業のイメージを知りたいです。